もう少し先へ / icolorfull’s

音楽とサッカーと少しの勇気と

矛盾螺旋

どこからも何からも必要とされないのであれば、きっと生きたところで頑張ったところでそれは意味を成さないのではないかと思ってしまいます。
「意味なんてなくっていい」そう強く思ってただ強くあろうとした自分に今の僕は笑われるのかな。

あれだけ「生きたい」と思っていたあの日の自分。そして「生きる」ということを放棄したくて堪らなくて死ぬ場所と死に方を考えていた、そして死ぬために何かを残そうとしていた少し前の自分。
そして「もう終わりたい」と「死にたい」、「死にたくて堪らない」と思っている今の自分。


きっともう終わりなんだと終わらせるべきなんだと思ってしまう。きっとそれは間違いなんだと心の奥でまだ想えます。

そんなに「死ぬ」ことは悪ですか?
恥じるべきことですか?
なんで求めることも逃げることも許されない今の環境で、どうしたら「生きたい」と思えますか?


きっと悪だと思うことは楽なんだと思う。
悪でいい。もう悪いやつでいいから。終らせて欲しい。きっともう希望なんていらない。
来世でなんて願わない。


伝えようとする度に心が手で捕まれるように苦しさも1人悩んで苦しんだ夜もわかり合いたいと想ってしまう独裁的な願望も救いたいと君の為だいう傲慢な思いも全部嫌い。
結局同じことをしてしまう自分が嫌い。
死にたいと思う自分も生きたいと思う自分も嫌い。失くなれば良い。最初からなければ良かった。結局何も出来ないのは自分じゃないか。


生きづらいんだよ、結局。
本気で生きて強くあろうとしても結局は戻ってくる。矛盾して螺旋して同じところに。


笑顔を守りたいなんて思わなきゃ良かった。
夢を描きたいなんて思わなきゃ良かった。
最初欲を出さなければ傷つくことも傷付けることもなかったんじゃないかと。


そう思ってしまう自分が嫌いだ。
結局全て欲だと。自分の浅ましさに自分が殺されるのだと知った夜。


明日の朝が綺麗だと思えたら、
もう少し嫌いな自分を信じれるなら、
まだその笑顔が一番大切だと思えるから


明日の朝まで生きよう。
こんな自分が笑われて蔑まれても今の自分は今日の自分はこれだ。